東武東上線開通100年に寄せて

5/8(木)
私は埼玉県に住んでいないが
実は埼玉県と関わりが深い。

連休中、何気に聞いていたあることを思い出した。
東武東上線が開通100年を迎えた・・・というニュースだ。

東武東上線と言えば・・・・
私の曽祖父だ・・・
調べてみたら、東京新聞埼玉版の4/30の記事にあった。
曽祖父の名が・・・・・
星野仙蔵という。
写真の家は今記念館となっていて
その訪問の件については、以前ブログに載せている。

以下新聞からの抜粋
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ふじみ野市の北端、新河岸川のほとりに市立福岡河岸(かし)記念館がある。江戸-明治時代に物流の主役だった新河岸川舟運の中継地・福岡河岸にあった船問屋「福田屋」の一部が、記念館として保存・公開されている。

1900(明治32)年、来客用に建てられた木造三階建ての離れは、
ぜいたくな材料に凝った装飾が施され、往時の繁栄ぶりを伝える。
離れを造った福田屋十代目当主・星野仙蔵(写真ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館提供)
が、東武東上線の前身となった東上鉄道誘致の中心人物だった。

福田屋の長男として生まれた仙蔵は16歳で父を亡くし、
24歳で祖父の八代仙蔵から福田屋を継いだ。

屋敷内に剣道場を構え、門弟200人以上を抱える一方、
26歳で入間郡会議員、29歳で県会議員と政治の道に進み、
1904(明治37)年、34歳で衆院議員に初当選。
帝国議会で同じ衆院議員の東武鉄道取締役(のちに東上鉄道社長)
根津嘉一郎と意気投合する。

ふじみ野市立歴史民俗資料館の坪田幹男館長(59)は
「仙蔵は10代を東京で過ごし、時代が大きく変わるのを見ていた。
鉄道の時代になるのを確信していたと思う」という。
事実、仙蔵は郡会議員になる前から、東京と川越などを結ぶ鉄道開設に向けた運動を始め、
免許申請の却下や計画の頓挫で幻となった三つの鉄道敷設計画にかかわっていた。
「埼玉中部は地味が肥え、物産も豊かだが、浅草まで4.5日かかる舟運だけでは
東京に接する地の利を生かせず、産業も振興しない」との思いからだった。

03年に会社を設立した東上鉄道が、実現に向けて大きく動きだすのは
仙蔵と根津が本格的に参入した11年からだ。
翌年、鉄道敷設の免許状が下りると、仙蔵は県内の用地買収を担当して交渉に走り回り、
私財を投じて上福岡駅(ふじみ野市)を実現するなど、獅子奮迅の活躍を見せた。

工事は13(大正2)年に始まり、翌14年5月1日、
池袋-田面(たのも)沢(現川越市)間33.54キロが開通。事実上、
約300年にわたる新河岸川舟運の時代も終わった。
仙蔵は上福岡駅前で運送会社を始め、手広く事業を展開したが、
東上線開通から三年後、40代の若さで急死する。
上福岡駅東口と福岡中央公園には、開通当初の石碑が残され、仙蔵の功績を今に伝えている。

駅東口の運送会社跡地では、仙蔵のひ孫・星野貴一さん(64)がたばこ店を経営する。
「小学生のころまでは、ここの一階から線路の向こうの富士山がよく見えた」という。
今、西口には再開発の高層ビルが立ち、環境は一変した。

「1910年の大洪水で、仙蔵さんは蔵の米をすべて炊き出しに使ったと祖父から聞いた。
駅前で商売をさせてもらっている子孫として、へたなことはできない」と話す。
そんな思いを抱え、商店会長や市教育委員として地域活動に取り組んできたという。
市は東口駅前の整備計画を進めている。
「将来を見越して計画に駅まで含めるなど、思い切った決断をすれば街はもっと発展する」。
星野さんは、こう考えている。 


最後に出てきた星野貴一さんとはひ孫同士という関係になるのだなぁ・・・
もちろん会ったことはないけれど。
今古い写真に関わっていて
昔のこと、ルーツのことについて考える時間が多いだけに
かなり興奮ぎみだ。
星野家の最期?の相続人として
去年相続の問題がすべて片付いたばかり・・・
決して過去のできごとではなかった・・・


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草の花のHPもどうぞ

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我孫子福音キリスト教会HP
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by kusanohana-nonchi | 2014-05-08 15:22 | カルチャー | Comments(0)