ある意味楽観主義者
2014年 10月 17日9月末NHK朝ドラ「花子とアン」は終わってしまった。
村岡花子さんが翻訳した「赤毛のアン」の文章の中で
ドラマでもたびたび使われていた
「曲り角をまがった先に何があるかはわからないの。でもきっと一番よいものに
違いないと思うの。」
という言葉がある。
これはある意味安易な?楽観主義的な発言かもしれない。
しかし私は、全くもってこの言葉をそのまま鵜呑みにできる楽観主義者である。
何度同じ失敗(同じようなことの繰り返し)をしていても
何となく「今度こそガンバロッ」って思える。
この根拠のない楽観主義であることが、今の私を作っているといってもいいと思う。
極端に話は飛ぶが
18年前に母の病を知った時から思っていることがある。
母は病気のことを克明に医師から告げられていたが
唯一「余命〇〇」ということは言われなかった。
誰も聞かなかったし、誰も知らなかった。
私はそこに大きな希望を感じた。
人はいつか死ぬことは知っている。
でもそれがいつであるかを知らない。
だから治療法のない病にかかっても、
いつ死ぬかわからないことは
生れた時はかすべての人が背負うものと
なんら変わらないということなのだ。
それが希望なのだ、ということを。
希望というのはまれな(希な)望み、ということだ。
国語辞典にはこうある。
【まれ】そのことがたまにしか起こらない、まためったに存在しないさま
ある意味「希望」というのは、非常に危うい、幻のような望みのことなのかもしれない。
でも「希望」さえあれば生き続けられる、と私は思っている。
曲がり角の向こうはきっといいものに違いない・・という・・・
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