消費生活について思う
2009年 03月 23日先日、所用で銀座に行った時、
誘われて、スペインからきたブランドのお店に入った。
まあ、実に、色からデザイン・・・心躍るようなものだった。
その日、私は着物を着ていたが
我を忘れて、商品チェックをしていた。
スペインブランドを着て、颯爽と歩いている自分のイメージででふくらんでいたかも。
しかし、いったん自分の世界に戻ってみると、
ショップで売っている、キラキラした状態の物体が
自分のところにやってきて、
同じように輝いているわけではないことを
過去の体験からいやってほど経験しているのだった。
なぜなんだろう。
いつも疑問に思っていることがある。
消費の現場、デパートやら、このようなブッテっク。
こういうところに来ると、なぜか、生きてることって輝いてみえるのだ。
私の亡くなった父も母も、闘病中も、デパートやスーパーに行きたがった。
あの喧騒と賑やかさの中にいると、生きてる実感が持てたのではないか。
本当は、自分に与えられた物を、大切に、メンテナンスしながら
長く使うことがいいに決まっている。
そういう行為は心が落ち着く。
でも、やはり、きらきら、ぴかぴかしている新しい物を見ると
何とかして、自分のものにしたい・・・という欲求が頭をもたげてくる。
「ちょっと待て、しまうところはあるのか。」
「ちょっと待て、同じような欲望から同じようなものを持っていないか。」
消費の現場の魔力なようなものから、ちょっと解かれると
自分の考えができるのに・・・・
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亡くなった母の親友が3年前になくなりました。 なくなる少し前に電話で話をしたんです。 お金に困っている方ではありません。むしろ金持ちにはいる方です。 その方が「 今は何もいらないお金も洋服も宝石も、 たった一つ健康が欲しい」 その方が84才でなくなりました。 毎日亡くなった旦那様、 私の母に拝みながら「早く迎えに来て欲しい」 と頼んでいるとも言いました。 その方はお葬式では弔問客から一円たりとも香典を受けとらないようにと義理のお嫁さんに言い残していました。 お金持ちだったから出来たことかも知れませんが、 潔い死に方だと思いましたね。 人間最期も肝心なのかも。
ところで香典を受け付けないお葬式は、潔くていいですね。
お返しの面倒???を思うといいかもしれないです。
人間の死ざまはその人らしさを締めくくるかもしれません。
でも不本意な死もあるでしょうね。難しいところです。