伝統についてもの想ふ
2013年 04月 30日4月中をメドの製作目標がある。
今日で4月が終わるのだ。さ、ガンバロウー。
この間、何気にみていたNHKの番組で
祇園を特集したものがあった(新日本紀行)。
京都の春のみやこおどりを中心に
それに関わる人々・・舞妓・芸妓・踊りの家元・男衆さんたちの
生き様を見せてもらった。
花柳界という特別な世界なのだけれど、
伝統に裏打ちされた、、ゆるぎない世界だった。
計り知れないほど昔からの伝統を守ることで
繰り広げられる独特の世界。
そのための美しさ・凛とした文化と言ったら
例えようもないほど、すばらしい。
ため息しかでなかった・・・・
今の生活になれた人間には、
とてもとてもまねできない鍛錬の積み重ねだ。
同じくして、新歌舞伎座に行って、歌舞伎を見てきた。
これも伝統の世界だ。
そんなこんなが続き
ここしばらく伝統というものについて考えさせられている。
私が結論したところで、それがどうした?ってことだけど。
伝統・・・というのは多くの人間(世代)によって
繰り返しなされることで
最も落ち着きのいい、究極の形に落ち着いたものなのではないか。
歌舞伎は、伝統を壊しながら続いてきた・・・というが
それでも壊した新しいものも、また、継続されることで
1つの伝統になっている。
結局、1人の人間の思いつき・ひらめきは
その人限りの力しかない??
・・・・・・・・
そんなわけで、
自分だけのオリジナルにこだわって表現することも
その程度のものなのだなぁ・・・としみじみしているわけである。
祇園の伝統と歌舞伎の伝統と
自分の製作を比べて、何やってるんだ・・・って?
仕方ないじゃないか・・・守る伝統文化の中に生まれたわけじゃなし。
私は私らしく生きてゆくしか、道はない。
今週の聖書の言葉
聞くには早く、語るにはおそく、
怒るにはおそいようにしなさい。 ヤコブの手紙1:19
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