島原の乱に思いを馳せる
2017年 05月 12日島原の乱は、江戸時代初期(1637年)に起こった日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。島原・天草の乱、島原・天草一揆とも呼ばれる。寛永14年10月25日勃発、寛永15年2月28日終結とされている。 ウィキペディア
島原の乱の舞台となった島原市。
島原の乱でキリシタンたちが最後まで徹底交戦した原城(跡)

北村西望氏による天草四郎の銅像

徹底交戦で原城に立て籠り
援軍を待っていた一揆群。
キリシタンの反乱という名目だったが、
農民一揆でもあった。
立て籠った人々8000人、すべて殺され
城、城壁、すべてとともに
埋められてしまった。
島原の農民はその時、全滅し人が誰もいなくなってしまった。
その後移民政策で、あちこちから移民が。
小豆島もその一つで、
小豆島の素麺技術が伝えられ
島原も素麺が名産地。
キリシタンは一人もいなくなり、
すべて仏教徒。
すべての人がお寺の檀家となったそう。
原城の発掘はつい最近始められ
多くの人骨が見つかっている。
そのレプリカが近くの記念館にある。
まだまだ発掘は途中。
日野江城跡
日野江城は、島原の乱発生の
きっかけにもなった
有馬晴信の居城。
今ではただの緑の丘。
猪防御の柵で囲まれていた。



雨が落ちるか落ちないか・・・の瀬戸際を
ギリギリのところで雨なしで歩く。

殉教した人々の鎮魂のために島原カトリック教会はある。

中原ジュリアン

ローマに派遣された4人の少年のうちの
中原ジュリアンは
教職者となってキリシタンを
まとめてたが
弾圧により処刑されたという。
殉教したキリシタン兄弟の像。
弟の指が切り落とされたが
そのことにも果敢に向き合い
処刑されていったという。


島原にて
弾圧されていたキリシタンを思う。
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by kusanohana-nonchi
| 2017-05-12 15:52
| 旅
|
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