森作常生(もりさくつねう)先生お別れの会

昨年12/2 多摩にある
聖蹟めぐみキリスト教会の牧師、
森作常生先生が天に召された。

77才で天への凱旋である。

葬儀は家族でなされ
1/27(土)にはお別れの会が催された。
先生を偲ぶため全国から人々が
集まってきた。
私も参加させていただいた。
一緒に行ったのは松山での信仰の先輩で名古屋からの参加である。


さて。
森作先生がどんな方なのか。
そして私との繋がりは?

森作先生はずっと大学の先生をされていた。私が知り合ったのは愛媛県松山市
「松山協同キリスト教会」である。
先生は愛媛大学の助教授、
教会の成人科の先生として
何回かの講義を受けた。

長い先生の人生で
私との接点はちょっとだった。
先生のことも特に存じ上げないまま
数十年が過ぎていた。

ところが5年ほど前、松山時代の友人から森作先生は今東京で牧師をされている、
との情報がもたらされた。
更にわかったのは先生の教会
「聖蹟めぐみキリスト教会」は
私の教会と同じ日本福音連合(JECA)
だった。

嬉しくてお便りを出し、
すぐにお返事いただき、心がとても近くなった。

そのうち今度は森作先生が肺がんで闘病中である、という情報がもたらされた。
そんな時昨年10月森作先生が
JECAの機関紙に寄稿されて、
ご自分が闘病中であること、
積極的治療はせず
平安のうちに過ごされていることが
書かれてあった。

いてもたってもいられなくなり
11/20 京王線の聖蹟桜ヶ丘の教会を
訪問しお見舞いした。


15.6年ぶりにお会いしても先生も奥様もなんの変わるところもなく、
(先生がベッドにおられること以外)
暖かく迎えて下さった。接点はほんの少しなのにも関わらず。

先生は足のむくみがひどく、歩くこともままならなくなったのと、
時々脳に混乱が生じるとのことで
2階にあるパソコンに触れることがてきなくなっていらした。
情報科学というコンピュター関係
専門の先生が
パソコンが使えないのは、さぞかしお辛いであろうと想像された。
が、闘病はあくまでの穏やかで
私のことも覚えていてくださった。
最後に先生がお祈りしてくださった。


その日から2週間ほどして、
訃報が届いた。
森作先生が天に召されたのだ。
最後まで自分に与えられた使命は何かと追求し続けた先生の魂が、
とうとう神の元にいかれた。
先生の魂は神の元で平安に
お過ごしなのだろう。しみじみと思う。

葬儀は家族でなされ、
先日1/27 お別れの会が開かれた。

その会で私は初めて
森作先生の軌跡を知った次第である。

先生は茨城大学卒業後
アメリカにて経営及組織工学の博士号を取られ、そして神学校も出られた。

アメリカから愛媛大学への招聘があり
20年間愛媛大学で教鞭を取られていた。
私はその時に出会ったわけである。
その後大阪府立大学経済学部教授5年、
下関の梅花学院大学教授を務められた後
4年間牧師をされていた。
その他にもキリスト者学生会(KGK)
他多数の評議員、主事をされていた。

c0134850_20423104.jpg


2017年松山訪問時の写真 森作夫妻
(教会の友人より写真提供)

お別れの会では森作先生を偲ぶ
文集が配られた。
先生に関わったすべての時代、
すべての場所からの投稿である。

冒頭には森作先生自身の証(あかし)が掲載されていた。
題名は「救いと召命の証」である。


先生が博士号を取る学びの最中に
神学校に行く情熱にかられ、
そして先生の役割の他に
大学生の生活全般の面倒を見ながら、
学生に伝道し続けたこと。
本業は伝道で、大学教師はアルバイト
だと仰っていたという
エピソードも語られていた。
先生は飄々と、穏やかに、ユーモアを持って教師として若者に接しながら
導くことを召命とされて
突き進んで来られたのだ。
森作先生が聖書から引用するそのユーモアは
アメリカっぼかった。
今でも忘れられないジョーク。

家に修理の人を頼んで、ようやっと来た人に
「私はあなたを待っていてよかったのですか?それとも別の人を待つべきですか?」と聞いた、と。
これはマタイ11:3による
洗者ヨハネがイエスに送った言葉
「おいでになるはずの方はあなたですか?それとも別の方を待つべきでしょうか」
という聖句のパロディである。

先生を偲ぶ文集の内容も濃いが、
お別れの会では各時代のお知り合いの方からのお話がメインで、
その内容は楽しく、先生がそこにおられるように先生の人生を彷彿とさせられた。
みん〜な森作先生が大好きだってんだなぁっ伝わってきた。


1996年頃受けた森作先生の成人科の学びでとにかく忘れられず、
私のその後に影響を与えてくださったことが一つある。

人は神によって使命を与えられて生まれてくるのだから、
自分の使命が何であるかを知り、
そのために歩むことが人生である、ということだった。

それを召命と言う。

同じことを先生から声かけしていただいた方の寄稿にもあった。
「あなたの人生には特別な神のご計画があるのです。
あなたという存在を通してでなければ表すことのできない神の栄光のために
神はあなたを創られたのです。」

私は利己的に自分の好きなことと楽しいこと以外はしない方向で歩んできた。
そんな自分への神さまの召命は何だろう…

森作先生からの学びで、すっとずっと思っていた。

その後私なりに出した結論は
聖書の言葉を真ん中に置いたキルトの
製作を自分に与えられた召命と思って進むことである。

寄り道の多い私なのだが、
これだけは譲らず、ずっと向き合っている。

そのことでの活動を森作先生ご夫妻に知っていただいていた。
というか最後の訪問の時に森作先生から言及があった。
「キルトは作っていますか?」と。嬉しかった。


私はあなたがたに勧めます。
召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

エペソ4:1

P.S
森作先生とのアメリカの意外な
関わりを知った。
お兄様がアメリカからいらしていた。
更に知ったことは森作先生の祖父母はアメリカ永住者、お母さまもその後渡米。
そのいきさつについて書かれた本の存在を知った。
先生のお母さまの半生をつづった本
「弘正常和!ついておいで」 
太田垣弘著 日本文学館
アマゾンで探したところ中古本で見つけ、今読んでいるところ。
興味ある方お貸しします。

[PR]
by kusanohana-nonchi | 2018-02-15 20:17 | 聖書の言葉 | Comments(0)