2018年 09月 04日 ( 2 )

私のこれからの予定と...

台風の被害に続き
今朝未明の北海道の地震。
待ってくれない自然の脅威に
ただ頭を垂れる。 
行方不明の方の一刻も早い救出と
混乱が収まることを
今、お祈りします。

私のこれからの予定とか
別にどうてもいいことですが、
一応ご報告。

私の年間予定で
大きなものは
ダンスの発表会と
所属するキリスト教美術伝道グループの
美術展。

今年はこの2つが
同時開催になってしまった。
初めてのことではないですが。

ダンス発表会は10/28(日)
展示会は10/23(火)〜28(日)

というわけで、
週2回のダンス練習に励み中。
詳細はまた明日。
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by kusanohana-nonchi | 2018-09-04 23:45 | 日々のつぶやき | Comments(0)

祇園精舎の…

8月中旬、伯母が亡くなりました。
昭和元年生まれ、92才。

伯母の存在は私には大きく、
一つの時代が終わった感があります。
葬儀に行ってお見送りして、
日常に戻る前に
伯母の記憶を少しだけでも
留めておきたいと思い、
ブログのこの場所で
みなさまに少しだけお付き合いいただきたく思います。

伯母は
父のお姉さんです。
ですから父にとっても
姉さんは目上の存在。
母にとっても、
最上級に怖い小姑。
もちろん私にとっても
最後の最後まで
耳に痛いことを言ってくれる
唯一の存在でした。
我が家にとって
凄い存在感のある人だったわけです。

伯母の人生は
ドラマチックでした。

父と違って優等生の伯母は
ちょっとした名家に嫁ぎました。
夫となった人は
凄腕で才能ある人で
家業を継ぎ、成功しました。
しかしその人は40代で早世。
伯母は娘息子とともに
その家に留まりました。

その家の家業は
岳父が復帰して継ぎ、
未亡人の伯母は
離縁を望む親族の中で
闘いながら婚家に残り
生き抜いたのです。

堂々たる体躯の持ち主で、
華やかで、高峰三枝子という
女優にちょっと似てて
亡くなる5年前まで務めていた専務
という立場にふさわしい人でした。
宝飾品を扱う仕事をしていました。

それなりの家で生き抜くために、
伯母の価値観は徹底していました。
何でもかんでも一流でなければ
ならない、という価値観。

我が家は伯母の価値観に
振り回されていました。
父はやんちゃな弟だったので
いくつになっても叱られては、
喧嘩となっていました。
しかし、ほんとのところは
父は婚家に残り、
いびられながら長男の嫁として
踏ん張っている自分の姉を、
心から心配していました。

母は伯母の一言一句に
影響されていました。
我が家では
「おばちゃまの言うことは絶対」
だったのです。
心のどこかで
伯母の生活を理想とし、
誇りにも思っていましたが。

両親が亡くなって10年。
私はその名家のその後を
見ています。

我が家が振り回され、
伯母が闘っていたその家も
価値観の全く違う子孫たちによって
別のものとなり、
関係者も、
幸せだったり不幸せだったり
鬼籍に入り、
誰もいなくなってしまいました。

そして伯母も
すっかり小さな人となり
亡くなりました。

会社の方には知らせない
という方針のため
小さな家族葬で見送りました。
たった6人の親族(なぜか私も入る)と伯母に最後まで付き添った
お手伝いさんの計7名

奇しくも、亡くなった日は
都内にあった伯母と長男の
邸宅を売り、
引き渡しの日だったそう。
その場所はマンションが
建築されるそうです。


平家物語を思い出してしまう。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。 

なんだかなぁ〜〜

最後に伯母と食事を一緒にした時。
そう6.7.年前でしょう。
もう孫もいた私に
お年玉をくれました。
3万円でした。

子どもの時から破格の高額お年玉を
くれていた伯母。

子どもの時から嬉しかった
伯母の手書きのポチ袋。
50代でもらったポチ袋は
ちゃんととって置いてあります。
今となっては形見です。





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by kusanohana-nonchi | 2018-09-04 00:39 | 日々のつぶやき | Comments(0)